
完璧主義は万全を求めて心の安定を図ろうとする態度です。
努力をすれば効果は高まるのですが、万全にこだわりすぎると欠点をなくすことへの執着が生まれます。
そして欠点ばかりに目を奪われて、大事なものあるいは可能性が高いものと、そうではないものとの区別をつかなくさせてしまいます。
そして物事の優先順位を失わせ、全てを同等にコントロールしようとする不自然な行動も生み出します。
しかも大事でないものや可能性の低いものの中にもコントロールが難しいものがあるため、完璧主義者はどうでもよいことに悩んだり、滅多にないことに不安になったりして無駄な行動が増えてしまいます。
こうして大事でないものや可能性の低いものをコントロールしようとすることで意識の中が一杯になり、とらわれて疲弊してしまうのです。
このような完璧への「とらわれ(Toraware)」 が生じると大事なものや可能性が高いものまでも見失う危険もあります。
さらに自分では完璧にできないと思う事柄を回避するようにもなってしまいます。完璧であろうとして、かえって完璧からかけ離れた状態になってしまうのです(副作用)。
我々が暮らす人間社会はハード面、ソフト面においても人工物に囲まれています。
このような状況が、環境を思うようにコントロールあるいは予想できるのではないかとの誤ったイメージを引き起こすのではないでしょうか。
このことは、人間社会の発展を促した一方で、うぬぼれを生み、人を完璧主義に陥らせる原因にもなったのではないかと考えております。
実際は、人間関係だけをとっても、人種、国籍、性格、置かれている状況は多様なために予想は困難であり、さらにそれらが作り出した社会システムは複雑に連動して流動的なために、社会生活は思い通りにはならないのです。
見方を変えれば、これはいたって当然のことです。
人間も動物であるという視点に立ちかえれば、人間社会も自然の一部なのです。
自然の中では、環境は与えられ、受容するものであり思い通りにはなりません。
環境の変化に合わせ、それぞれの役割や能力に応じて、優先順位に従って行動するしかないのです。
だからこそ、今ある状況を自然環境ととらえ、思い通りにできない自分を受容し、大事なものや可能性の高いものから優先順位をつけて効率的に行動していくことが重要と考えます(利益の最大化)。
自然界で適応できるのは完璧なものではなく、自然と調和したものなのです。
