精神疾患は心の病ですので、精神の内側から生まれる主観的体験が治療の上で重視され、また患者様も主観的苦痛の改善を望まれます。
しかし、不安の強い患者様自身が、精神の内側に意識を向けて内向することを、当院ではお勧めしておりません。
感情、思考、身体感覚に良い影響を与えず、結果として自身の能力を最大限に発揮して目的を成就させるという自己実現につながらないと考えているからです。

自己実現に向けた行動に伴う感情や身体感覚は、主に交感神経の興奮に伴う、不安、緊張、動悸、呼吸苦、ふるえ、発汗などです。
これらは、内向すればするほど強くなり、目的とする行動を妨げたり、回避させたりしてしまいます。
また、思考については、内向した際に浮かぶのは、過去と未来のことが中心となります。
しかも主に浮かぶのは過去と未来への否定的な感情を伴った記憶や憶測であり、それによって抑うつや不安が助長されて否定的な思い込みが強くなってしまいます。
これらの内向によって生じた不快な感情や身体感覚に執着し、意識したり、意識から排除しようとしたりすることは、ますますそれらへの注意を高めて、感情や身体感覚を増大させます。
結果的に意識を内向させることによって、否定的な思い込み、不快な感情や身体感覚の増大による意識内の占拠が起こり、意識や気力が消耗されてしまいます。内面への「とらわれ(Toraware)」 が生じることで、現在目の前に起こっていることに意識を向けて対処することが困難となります。
本来、早く簡単に安楽になりたいと、外側の現実を無視して、内側のみを整えようとするのは不自然なことなのです。まず、意識を外側に向けて現実を取り入れた後に、それに調和するかたちで、内側への意識が働くのが自然であると考えます。

比較的新しいタイプの認知行動療法において瞑想、特に呼吸などに意識を向けた技法があります。
本来は、無意識で処理されるような些細ものに注意を向けることよりも、目の前の価値ある目的に意識を向け実践することが大切です。
しかしながら、目の前の目的に意識を集中したり、事実をありのままに観察して誤ったイメージへの執着から解放する訓練として瞑想が有用であると考え、特に「とらわれ(Toraware)」 により外向が困難な方の治療に活用しています。
ただし、瞑想の無意識に処理されている体験を意識化させる技法については催眠療法のトランス誘導にも用いれられ、その催眠的効果が不思議なリラクゼーション効果をもたらすがゆえに、どうしても実施者(治療者も含めて)を宗教的な色彩に染めてしまう傾向がある点には注意が必要と考えております。
僧侶が宗教的な修行として行う瞑想は次元が違うもので、容易に真似のできるものではありません。
一般の人が世俗的な生活をしたままで、何か不思議な力を得て、簡単に楽になろうというのは修行と矛盾しており、何か悟ったように思ったとしても、せいぜい野孤禅や魔境と呼ばれるもので、勘違いの類でしょう。

人間は基本的には同時に複数のことに真剣に意識を向けることはできないので、意識を内側ではなく外側に向けて、現在起こっている大事なものに意識を集中することが最も重要だと考えます。
ただし、日常的には意識を外向きにして、まんべんなく周りの出来事(事実)に注意を払い体験することも、現実感を保ち、行動の活性化につながり、日々の工夫や発見の機会にも恵まれて心を豊かにするうえで重要だと思います。
日々の現実生活での実体験こそが心の栄養となるのです。
そして、この実体験を通して思い込みが修正され、現実に調和した正しい自他のイメージが自然に生まれてきます。
反対に現実生活での体験なしに意識を内側に向けてばかりいると、やがて心が栄養失調となり、自他に関する誤ったイメージが形成され、思い込みが強くなり精神的に不健康になってしまいます。
これは物事を主観的なイメージでしかとらえられなくなった状態です。
例えば周りの人にもそれぞれ苦しい思いがあることに気付かず、「自分だけが苦しい思いをしている」と自己中心的な誤った自己イメージになるのです。
また外向的生活を変化に富んだものにすると、日々の発見や正しいイメージの形成にもつながるだけではなく、その時々の必要性に合わせて、注意を大事なものから、他の大事なものに移り変える訓練にもなります。
その結果、頭からなかなか離れない現実的ではない強迫的な考えにとらわれることが少なくなり、精神が自由になると考えております。